撮影:佐藤拓実

井口健様

 ご質問に答えていただいてありがとうございました。井口さんは建築の仕事にあらゆる芸術を見出しているのですね。建築家としてはフランク・ロイド・ライトに強く共感され、ストラビンスキー『春の祭典』がお好きだとのことでした。井口さんが建築を学ばれた当初、広く世界に目を向けていらっしゃったことが分かりました。

 「北海道百年記念塔展」が延期になった期間を活かそうとして5月から往復書簡をはじめましたが、あっという間に展示の開幕が迫っていますね。最後に、展示と、展示初日に開催予定の、井口さん、文学館館長の玉川さん、佐藤の鼎談への導入として、北海道百年記念塔の今後に関わる質問を二つさせていただきたいと思います。

 井口さんも関わっていらっしゃる「北海道百年記念塔の未来を考える会」では、解体の判断は拙速であるとし、百年記念塔をモニュメントという形で継承し「北海道大地の塔」へ改名することを提言しています。

 一つ目の質問としては、この改名に込める思いをお聞きしたいです。例えば、今までの名前である「北海道百年記念塔」が「北海道大地の塔」になることで、何が変わるのでしょうか?「北海道百年記念塔」の名前に欠けているものがあるとすれば何でしょうか?また「北海道百年記念塔」という名前に愛着を持つ人々も少なからずいると思いますが、そのような人々は改名をどのように受け止めたらよろしいと思われますでしょうか?

 もう一つの質問は、報道でもしばしば触れられていた北海道百年記念塔とアイヌ民族との関わりです。北海道新聞の記事で井口さんが「アイヌ民族など先人を慰霊するモニュメント」について語っていらっしゃいましたが、このモニュメントについて詳しくお聞きしたいです。石積みのモニュメントの壁面に「アイヌ文様を施す」とされていたそうですが、このアイディアはどういう経緯があってどのように着想されたのでしょうか。当時としてはこのような大規模なモニュメント建築のコンペにアイヌ文様が用いられることは珍しかったのではないかと思いますが、井口さんご自身はアイヌ民族に対してどのような思いがあって構想されたのでしょうか。残念ながらモニュメントは予算不足で造られることはありませんでしたが、「アイヌと和人、全ての先人への慰霊と感謝を込めた」モニュメントが実現されていれば、北海道百年記念塔に対する今日の見方も、また違ったものになっていたのかもしれず、多くの人が気になる大変重要な点だと思います。

 最後に、ここまで往復書簡にお付き合いいただき本当にありがとうございました。私のような若輩者とやりとりされるのはお疲れになったと思います。年齢も専門も違う井口さんとやりとりするのは不安もありましたが、たくさんの発見がありました。少しずつ往復書簡を展開させ続けてこられたのは、井口さんの寛大さによるところが大きいと感じています。ここまでのやりとりは、小樽文学館での展示をよりよいものにする糧として今後につながっていくものと思います。

 お返事を楽しみにまっております。

2020年9月20日 佐藤拓実