撮影:佐藤拓実

塔の名称に思うこと

 公開設計競技の応募要項を見て感じたことは、やはり北海道百年という表現であった。北海道の歴史ということになると当然何百年という過去の歴史の流れを思い、先住民族(アイヌ)を意識されるわけです。そういう潜在感を塔のコンペにもって着手したわけです。北の大地で自然と共存し……!この後に及んでは……それらの囲いから脱皮し、「北海道百年記念塔」の名称を大局的に北のシンボル「母なる大地の塔」と命名したい訳です。先人、アイヌ民族対する意識が変わるであろうということです。和人とアイヌを一体の日本人として認識し、双方の文化を尊重する。

 コンペの結果が発表され…全く想像もしていない結果で小生が最優秀者として受賞しました。受賞者を代表して一言挨拶をするように指示された時に発言をして、しかし「明治維新によって『蝦夷地』から『北海道』と命名されて以来、北海道百年の開拓の歴史としての大きな意義があると思います」と話をして受賞の感謝を申し上げました。主催者の気持ちとしてははなはだ迷惑なことだったと思います。当時はアイヌを先住民族として認めていないことがその理由です(2007年に国連で先住民族の権利宣言が採択され、それに沿って日本でも2008年にようやく、アイヌを先住民族として認めた)。塔建設の期成会の方は「井口さんは良い事を言ってくれました」とは言ってくれましたが……!

 先人、先住民族に対する具体的な提案…デザインへの配慮は慰霊と創造です。

 大地の塔とすることにより、時限的意識から解放しおおらかな塔空間に置き換えることにあります。過去、現在、未来の塔。デザインも基本的性格に進化させることになるであろうとの考えです。つまりパイオニア精神の浸透にあります。

慰霊と創造空間への演出

 先づ先人の慰霊を意図する。塔低層部の両サイドのマッスの完成。それには彫塑的レリーフの形成。アイヌ人の模様をモチーフとする。アイヌ民族というと熊の彫物と衣装の幾何学的デザイン。これはアイヌの魂といえる。塔のデザインにもよく調和します。それ故にレリーフのモチーフとしたいのです。

 次にやはり形成できなかった、塔周辺の瞑想空間の実現。二次的空間を三次的空間に成熟させる。手法として塔周辺を2メートルほど盛り土した土手を作る。

 3点目は展望台の造成にあります。塔空間を認識できるレベルとする。(六角形になっている 空間を把握出来ることと周囲の外部空間を認識出来る)。この展望台の内部空間を活用することも可能です。慰霊のためのスペースまたは格納庫として活用する。

 その他、塔周辺空間の野生の復活…相当範囲に笹薮及び低木を植える。

 塔へ導くアプローチの東側に並木を植え、塔への前奏としたい。展望台の一部を搭状として鐘を設置する。

2020年9月25日 井口健