撮影:佐藤拓実

井口健 様

 拝復、お返事に少し間があいてしまいまして申し訳ありません。

 東京はそろそろ梅雨の入り、そして緊急事態宣言が解除されたとかで、一見すると新型コロナウイルス感染以前の日常に戻ったようでもありますが、どこかそわそわして落ち着かない気持ちです。

 前のお手紙で、井口さんは私の思考法に「戸惑い」を感じていらっしゃるとのことでした。随分と勝手な印象を述べてしまいましたので当然のことかもしれません。私の文章で分かりにくい箇所がございましたらどのようなことでもご説明したいと思いますので是非ご指摘ください。

 百年記念塔は建築基準法でいうと建物ではないということですね。記念塔の今後の扱われ方を考える上で重要になっていく点だと思いました。とても勉強になります。

 井口さんが建築を構想される際は、どのような場合も与えられたテーマや課題に対し、機能性と美を兼ね備え「人間の心に深く触れる」ことを目指されるのですね。私が専門にしている美術は、建築と比べると自分で課題を見つける傾向が強いのだと思います。とはいえ作品の実現までに様々な制約を解決しなければなりませんので、それも一種の課題かもしれません。

 「凍れる音楽」(フェノロサの言葉でしたね)といわれる薬師寺東塔、私はまだ目にしたことがありません。いつか見てみたいです。

 井口さんは風雪に耐え長い時を経ることが建築を熟成させるとおっしゃいました。そのように〈芸術家としての自然〉の手が加えられると「人間の心に深く触れる」作品ができるのでしょうか。そう伺っていると私は砂澤ビッキ(1931~1989)の言葉や作品を思い出します。ご存じかと思いますが、ビッキは北海道旭川市出身のアイヌの彫刻家です。4本のアカエゾマツの木柱による作品『四つの風』が、札幌芸術の森美術館に1986年に設置された時ビッキは「オレの仕事はこれまでだ。あとは風雪の鑿が手を加えるのだ」(※1)と語り、またこの作品については「生きているものが衰退し、崩壊してゆくのは至極自然である、それをさらに再構成してゆく。自然は、ここに立った作品に、風雪という名の鑿を加えて行くはずである」(※2)と書いているそうです。

 私は、井口さんの芸術観を、作者の手を離れた瞬間に作品のあるべき姿を見、言い換えれば未来に向かって作品が傷み劣化していくことをマイナスとして捉えるようなものではなく、むしろ作者の手を離れた、設置された、建設された、その地点が始まりだする作品観だと受け取りました。人の手を経、また時を経ることで作品が変化し、時には新たに何かを触発し生み出していく。その先に作品のあるべき姿を見据える。そのような芸術観なのではありませんか?そして、井口さんが薬師寺東塔を引き合いにおっしゃる「風雪」や「自然」が示す芸術観は、ビッキの言う「風雪」や「自然」と重なる部分があると感じます。その重なりは、普遍的なひとつの芸術観、作品観であるからこそ生まれ得たのだと思います。

 百年記念塔の解体の是非が議論されているいま、そういう作品観がはたしてどれだけ人々に理解されるのか、私には分かりません。ただ実感するのは、作品にとっては作者から離れた先で人々にどのように受け取られるかが非常に重要なのだということです。

 そこで私が井口さんに訊いてみたいのは、

 「芸術はすべての人間の心に深く触れることができるのだと思いますか?」

ということです。

 ここ数年のうちに何度か、芸術作品が人々の対立のきっかけになっている例を報道などで目にしました。その時、芸術は人間の心に深く触れているのでしょうか?私にとってその現状はとても辛く、どこかに解決の糸口を見いだせないかいつも考えます。

 おそらく百年記念塔のようなモニュメンタルな作品を手掛けられた井口さんは今まで様々な批判を受けてこられたのでしょうし、時にはこころない誹謗中傷を受けたこともあるのではないかと想像します。人々から思わぬ反応があった場合、どのように応対してこられたのか(もちろん応対にも様々な形がありますが)、ご経験、お考えなどを伺えればと思います。

敬具

2020年6月6日 真っ赤なレインボーブリッジが架かる東京より 佐藤拓実

(参考文献)

※1 砂澤涼子「風籟ー「四つの風」の声を聴いたー」『樹氣 砂澤ビッキ展』札幌芸術の森美術館、2001年、65頁

※2 『札幌芸術の森野外美術館』財団法人芸術の森、1986年、86頁

・2020年7月1日 一部表現を補足