撮影:佐藤拓実

井口健 様

 拝啓、体調などお変わりございませんでしょうか。新型コロナウイルスの感染の広がりが落ち着かない中ですが、それとは関係なく札幌にも遅い春が訪れて、ちょうど桜が散った頃かと存じます。

 このたび井口さんと往復書簡をさせていただけること、大変光栄に思います。2020年4月から開催する予定だった「北海道百年記念塔展」が延期になり、その期間を活かして何かできないかと思い立って小樽文学館の玉川館長にもご相談しつつ、僭越ながら井口さんとの往復書簡をご提案したのでした。とはいえ、若輩者の私がお相手できるとすれば、往復書簡の準備として改めて百年記念塔に関する情報に目を通す中でいくつか疑問が浮かんで参りましたので、主にそれらについて教えを乞うことかと思います。もちろん井口さんから私どもの活動等についてご質問やご意見があればとても有難いです。

 私が企画者として2018年に開催した展覧会「塔を下から組む」では、私を含むメンバーの関心事の一つに百年記念塔の設計・構想があり、その際にいくつかの資料を通して井口さんのことを知りました。当時はまさか井口さんと展示を開催することになるとは夢にも思いませんでした。初めてお目にかかったのは昨年の小樽文学館での打ち合わせでしたね。力強く握手を交わしてくださったのがとても印象に残っています。その後、井口さんがお持ちの膨大な資料の一部拝見する機会も得ました。

 私はこのような経験を通して、井口さんにとても親しみを覚えました。その親しみというのは、井口さんが絵をお描きになるということもありますが(先日いただいた絵葉書、とても心が温まりました)、〈建築家〉の井口さんに対して〈芸術家〉としての側面を感じたところからくるものだったと思います。いくつかの書籍、雑誌や新聞などで井口さんが百年記念塔の構想を語る時、その姿勢はどこかで芸術家という言葉を連想させるものでした。もちろん、一般的には建築は芸術の一種であり建築家もまた芸術家の範疇に数えられますので、当然のことでもあるのですが、井口さんのお言葉からは少なくとも私がイメージしていた建築家像よりはずっと柔軟な感性をお持ちであることを感じました。

 私がそのように感じたのは、北海道百年記念塔のある性格が関わっているのかもしれません。百年記念塔は〈塔〉ですので建築物に分類されるのでしょうが、「北海道百年」を「記念」する、極めてモニュメンタルなものでもあります。モニュメントはしばしば彫刻家が手掛けるものですね。実際に北海道百年記念塔の設計競技には彫刻家の本郷新が関わったものもありました。百年記念塔には〈塔〉であり〈モニュメント〉である、もしくは〈塔〉であり〈彫刻〉であるというような両義性があると私は捉えていますが、井口さんはどのようにお考えになりますでしょうか。

 百年記念塔の設計を成し遂げ、それ以外にも、モニュメントやモニュメンタルな建築を手掛けられている井口さんには

「モニュメンタルな建築とそうでない建築を構想する時の違いはありますか?」

とお訊きしたいです。

 質問の意図としては、まず、井口さんが百年記念塔を建築と捉えているのかモニュメントと捉えているのか、または別の捉え方をされているのか、ということが素朴に気になるという点と、更にそこから井口さんの建築観、芸術観、について伺いたいという点にあります。

 往復書簡の1回目から抽象的で答えにくい質問をしてしまったでしょうか。井口さんの設計のご経験のお話でも、何か参考にされている、いわば理想的な建築やモニュメントの作例のお話でも伺えればと思います。

 お返事、楽しみにお待ちしております。何卒宜しくお願い致します。

 敬具

2020年5月14日 「コロナ禍」の東京から 佐藤拓実