・往復書簡7の佐藤拓実の質問に応え、井口健がはじめて生い立ちを文章にしました。4回にわけて公開しています。第2回目です。

口はわざわいのもと

 小学校4年のある日、もう人影もない時間にクラスメートの三浦君と帰ろうとしていた時、昇降口で名も知らぬ1人の女生徒が・・・「下足が無い」と言ってさがしていた。それを聞いた小生は「出てきても履けないかもしれない」と、何げなく口に出してしまった。次の日の朝に担任ではない体育の先生が教室の後の入口から入るなり・・・大きな声で「井口、三浦!」とどなった。何ごとかとびっくりした。女生徒は僕等の名前を知っており、犯人として疑われたのであった。下足はトイレに捨ててあったらしく、小生の一言の通りであったらしい。正に口はわざわいのもと。反省!しかし、度々くり返した。

学芸会

 小学校6年生の時、学芸会の準備を体育館のステージでしていた。背景に音楽の楽譜を8小節程表示をした。ト音記号を入れ2/4拍子とした。後で見ていた大岡先生が「井口さん、それ2/4拍子かい・・・?」と言われた。適当に並べた紙製の音符のミスを指摘された。元気な女性の先生で・・・現在も健在で函館のグループホームで暮らしていらっしゃる!97才である。小学校1、2年生の時の担任であった。母が長い間通信簿を保管していた。灰色の薄い紙であった。

緑の週間ポスター

 小学6年生か中学1年生の時かと思う。ある日、図画担当の新覚吉郎先生が教室に入って来られ、植林活動と思われる「緑の週間」のポスターの作成を指示された。何処で募集していたか解らないけれど、後日、小生の作品が2等と3等に入選したという事で賞状と景品を戴いた。景品というのは、三百円と五百円の小切手というものであった。駅の近くにあった拓銀の今金支店へ出向いた。銀行のカウンターが高く、背のびして小切手を出したことを思い出す。しかし、何故かお金を受取った記憶が無いのだ・・・!ワイフにこの思い出話をしたところ「私もポスターを書いたよ。景品はもらわなかったけれどもポスターになったよ」と!チョットやられた感じがした・・・!

社会科の時間

 中学2年の時の担任は瀬戸庄次郎先生であった。世界の地理についての指導に力が入っていた。その為か小生は今金町の都市計画図を作成した。既存の町をベースにした新たな道路網図等であった。先生にクラスで発表することを指示された。当日計画作成した図面を黒板に貼りつけて計画図を見ながら説明をしていた。チョット振り返り見てビックリ驚いた!教室内に10人程の大人の人達が入っていて、小生と目が合った。平常心を失い、以後下を向いて最後まで話をした。当日、社会教育の先生方の研修会があってのことらしかった。終ってから、瀬戸先生に姿勢が悪いとお叱りを受けた次第。小生は内気だったのである。後年、今金町が都市計画で、小生の計画図を参考にした事を聞かされた。

建築家への道のり(3)につづく・・・